科学的な治療
「私たちの歯科医院は科学的根拠に基づいた診療(evidence based medicine)をおこなっています」などと言われると、それだけで信頼できる歯科医療を行っているような気がしてきます。
たしかに怪しげな呪文をとなえたり、手をかざしたりする歯科治療(そんなものがあるかどうか知りませんが・・・)より、科学的な歯科治療が優れているのは決まっています.
17世紀以降、近代科学は圧倒的な信頼を勝ち得て、それに基づく近代医療は目覚ましく発展してきました。
「その治療法は科学的ではない」ということは、「その治療法はまやかしである」ということとほとんど同じ意味になります。
歯科治療でも、“茄子の黒焼きが歯周病に効く”などという科学的とはいえない民間療法はほとんど見向きもされません。
一方でその近代歯科医学に基づいた歯科治療が行われているのかというとそうとも言いきれないところがあります。
歯肉炎の治療と歯周炎の治療の違い
歯周病のうち、歯肉炎の治療では医学的根拠(プラークを除去すれば歯肉炎は治るというハロルド・ロー先生の研究)に基づいた治療が十分効果を発揮します。
しかし、歯肉炎がさらに進行して歯周組織破壊を伴うようになった歯周炎の治療は、一般に歯科医院で行われている処置(プラークコントロール、スケーリング、ルートプレーニングや歯周外科など細菌に対する処置)を行っても、なかなか治癒に結びつかないことがあります。
これは、市井で行われている歯周炎治療のよって立つ科学的根拠が不十分だからです。
言い換えれば、歯周炎の治療では科学的根拠に基づいた治療法がまだ確立していないのです(歯周病の新常識)。
近代医学が治せない病気
歯科医学が進歩しているのに関わらず、歯周炎の治療に有効な手段が見いだせないというのは残念な話ですが、歯周病に限らず慢性疾患や精神疾患は近代科学的なアプローチだけでは不十分であると考えられています。
つまり、科学的な根拠に基づいた治療だけでは治せない病気がたくさんあるわけです。
マーティン・ブレーザー先生が『失われてゆく、我々の内なる細菌』で『現代の疫病』と呼んだ、喘息やアトピー性皮膚炎、クローン病やセリアック病などは近代医学がなかなか有効な治療法を導き出せないでいる疾患群です。
科学は完全無欠ではない
哲学者の中村雄二郎先生は、
『近代科学はその強い説得力でこの二、三百年来文句なしに人間の役に立ってきた。そのため、現代人は科学的な見方は万全であると思いこみ、実際には現実との間にずれがあるのにそのことを忘れてしまっている』
と言っています。
近代科学の自然観は、自然を技術開発の対象としてきて多くの恩恵をわれわれに与えてくれました。
しかし近年、人間の役に立つはずの科学技術が、地球温暖化や大気汚染をはじめとする環境破壊や福島の原発事故など人類にとって厄介な問題を引き起こしているのも事実です。
医学の世界でも同様なことがおこっていることは『科学の知と臨床の知』に書きました。
“鉄腕アトム”が悪者をバッタバッタとやっつけるように、結核やペストなどの感染症を撃退してきた近代医学ですが、今回の新型コロナ感染症に対しては有効な打つ手を繰り出せないでいます。
まるで”感情を持てる人工造機”をつけた鉄腕アトムが敵の前で立ちすくんでいる様子そのままです。
このことは、科学は万全であると思い込んできた私たちに対する大きな問題提起なのではないかと思います。
近代歯科医療の落とし穴
高度に自然科学化し、技術化した近代医学が多くの病苦から人類を解放してくれた一方で、人間らしい患者の扱いからいよいよ遠ざかっているという指摘は以前からなされています。
歯科治療でも、むし歯の穴や歯周ポケットという局所だけをみることに力が注がれ、歯科疾患をもった患者さんという人間と接しているという視点は忘れ去られています。
近代科学に基づく医療が我々に多くの恩恵をもたらしてくれたことは間違いありません。
しかし、近代医学は決して万能ではなく、それだけでは十分ではないことをわきまえておく必要があります。
近代科学的思考が見えなくしてしまったことを知らずに歯科医療行っていると、思わぬ落とし穴にはまり込んでしまうことになります。
中村雄二郎先生は、近代科学が覆い隠してしまったものとして、「コスモロジー」と「シンボリズム」と「パフォーマンス」という原理をあげています。
この原理を読み解くことが科学の限界を超えた新しい『知』を私たちにもたらしてくれるのではないかと考えています。
『歯科臨床の知』のカテゴリーではそのことを考えていきます。
歯周病の新常識 小西昭彦 阿部出版 |
歯科治療の新常識 小西昭彦 阿部出版 |